もうずいぶん昔の話になるが、ある日久しぶりに知人とタクシーに乗ったところ、助手席の背中部分のモニターに何かのCMが流れていた。「ほう~。今じゃタクシーにまでテレビCMが流れるんじゃのう。」と感心していたら、同乗者が「あなたをモニターして、その外貌にふさわしいCMを流しているんですよ。」と教えてくれて、二度びっくりした。「えっ?じゃあ、この後、女子大生が乗ってくれば、女子大生向けのCMが流れるの?」「ええ、そうですよ。」「ひゃ~。」と時代の進歩に驚いたことがあったなぁ。
そして、そのころだったと思うけれど、Amazonで本を買ったら、「この本を買った方は、こんな本も買っています。」なんて余計なお世話が始まっていた。そして、たまたま欲しい本だったのでそれも購入した。便利になったなぁという感慨より、心の中を覗かれているようで、少し怖い感じがした。2冊目の本の購入は、決して強制ではなく自発的な行為であったこと。むしろラッキー!とすら思っていたことである。
今のSNSではこんなレベルではなく、組織的且つ大規模にAIを援用したもっと複雑なアルゴリズムが使われ、いつの間にか自分が見たいもの好ましいと思う情報だけに取り囲まれることになる。(私はそれまで知らなかった新しい情報に驚き、怒り、嘆き、恐れる。)
さらに恐ろしいのは、その情報が恣意的に作り出された「もっともらしい」「ありそうな」情報を事実として発信することである。いわゆる「フェークニュース」である。今総選挙に真っただ中にあって、フェークニュースは膨大な量が飛び交って、人々を興奮させている。「外国人が奈良の鹿の腹をけっとばした。」「中国の戦闘機が自衛隊機を突然、警告もなくロックオンしてきた。」「スゥエーデンの刑務所の囚人の98%は移民だ」このような「フェークニュース」は、もう嫌になるほど溢れている。どうにもならないから、私たちは冷静に対応するより他はない。特に共生社会をゆがめる外国人排斥の風潮とそれを煽る人たちには気を付けなければならない。
そして、さらにさらに恐ろしいのは意図的に隠されている事実である。私たちの知らない所で何かが進み、ほとんどの人がそれを知らない。
